今週末から図書館が営業再開したという。 どうなっているのか気になって、 再開したその日に行ってみた。
地下鉄を降りて入り口を入ると、 受付カウンターにすでに透明ビニルが張られている。 やはりこうなっていたかと気を揉みながらゲートをくぐると、 貸出、返却、相談、いずれのカウンターにもすべて透明ビニルが、 やはり急ごしらえのサランラップみたいにして張られていた。
十何冊かの本を返し一冊を再借出した。 図書館カードも手指の接触を減らすため、 カルトン(現金などを収受する際などのプラスチック製の皿)を 通じての間接的なやり取りとなる。
館内閲覧が禁止されており、椅子が全て撤去されていた。 三階が閉鎖されていて(昇降階段は通行止、エレベータも行かない)、 地図や古地図や郷土資料は見ることもできなかった。 レファレンスサービスは無論利用できない。
検索機も全て閉鎖されており利用できない。 書庫資料の出納依頼をすることもできず、 事前に予約して準備が出来次第、 連絡を受けて引き取りに行くという形になるそうだ。 滞在もそもそも概ね30分以内とするよう、 館内放送などで呼び掛けられていた。
館内の人影はみな「立ち」の姿勢だった。 利用者はみな立って書架のすき間を動いており、 時間制限のためしぜんと足早になる。 「駅前」の「書店」のようだ。 長期休館を経て書棚は見事に整理されているから、 意外と効率的に見当はつくが、 書庫の資料まで行き着くことはない。 見つからない本を尋ねたら、 相談カウンターの職員さんは「走って」書棚の前へ行き、 「走って」持ってきてくれた。
コロナ前の図書館にあった「血の通った」ような雰囲気が影を潜め、 こざっぱりとした透明で無機質な、冷たい空間になっていた。 什器や調度品は温かみのある木製なのに、 人々のルールがそのオーラを亡きものにしている。
まるで、野戦病院のようだった。
必要な用事だけなら5分とかからない。 機能性だけをウリにする、アマゾンの物流倉庫も、 もしかしたらこんなとこなのかもしれないと思ってしまう。
危機感を募らせながらも、 残りの25分ほど、館内あちこちを見て回ることにした。
地下鉄との連絡口がある地下一階はそれでもまだ人がいる方だった。 一階は、新聞閲覧が禁止されているためか、本当に人っ気がなかった。
二階に上がってみる。 やはりここも人気がないが、 木製の什器が辛うじて室内を暖色系に温めている。 三階に通じる階段はバリケードだ。
カウンターにはビニルシート、検索機はバッテンにテープが貼られ閉鎖。 人気のない二階で、ひとつ見つけたものがある。
普段なら、利用者が気に入った本をその場で読むために設置されている 木製のテーブルに、テーマごとに本が集められ、並べられていたのだった。
二階では、普段から、図書館で開催する「元気塾」などのイベントや、 朝ドラ、市内で開催されるイベントなどに合わせ、 テーマに沿って本を集め、展示する本棚がある。 その本棚ではこの日、ウィルスや感染症をテーマとした展示がされており、 こんな状況下でも負けない図書館の方々の姿勢には まったく魂を揺さぶられる。
普段と同じことを続ける。どんな状況下でも、大切なのは知ることなんだと。 私たちはそれを市民の皆様に提供するんだ、それが仕事なんだと、 この本棚は語っているのである。
ただ今回はそれにも増して、 椅子が撤去され誰も使うことのない木製テーブルにまで、 本は並べられていたのだった。
館内閲覧は禁止されていたが、さすがにそれは、 立ったままで中を見てみている人がいた。 それは「閲覧」ではない。 中身の確認であるという「整理」にでもなったのかもしれない。
人肌の温もりが消し去られ、 書架には完璧に整理された本たちが並ぶ中で、 その輝きは明らかに異彩を放っていた。
表紙をこちらに向けていた。 書架では本たちは背中を向けているのに、 木製テーブルでは表紙をこちらに見せていた。 書架では分類番号順に、判型順に、整然と並べられている本等が、 ここではランダムに、無造作に、リズミカルに並んでいる。 もっと言えば、楽しそうである。
そこには色があった。表情があった。もっと言うならば、いのちがあった。 緊急事態宣言下の大阪の、野戦病院のような図書館で、人気の失せた二階にあって、 木製テーブルのその上だけには、いのちが咲いていたのである。
そのさまが、それ以外の図書館の部分の冷酷無情な雰囲気とは明らかな対照であり、 単なるテーマ展示という範疇を超えて、もはや抵抗運動のように見えてしまう。 人間性をタテにしたレジスタンスである。 図書館がこんなことになっていたなんて!
ここにどんな経緯があったのかは知る由もないが、 なんとなくではあるが、 感染拡大防止対策を上から目線で迫ったであろう、官憲との揉み合いの果てに、 図書館側が「もぎ取った」ものではないかと(勝手な解釈だが)想像してしまう。
だとしたら、図書館はよくやった。さすがは俺たちの図書館だ。 図書館の自由に関する宣言はどこかの社訓のように形骸化してはいない。 有川浩もびっくりの図書館戦争における勝利だと。 褒め称えたくなるのである。
二階を一廻りして階段付近まで戻ってくると、 その最も目立つ位置のテーブルテーマは「図書館」。
思わず足を止める。
先刻ご承知の通り、 「図書館」は日本十進分類で「01」となんと二桁目をいただいているから、 そのコーナーにさえ向かえば図書館の本などいくらでも並んでいる。 図書館が「図書館」の本を集めるなんて、自己趣味もいいとこだが、 今日ばかりはそのラインナップを素通りするということができない。
日本にとどまらず世界においても、 図書館はそのありようを建築家が競い合って建てていることなどを、 今日その場で手に取った本でよくわかってしまったりする。 京都に住んでいた頃、下宿近くに私設の図書館をオープンさせたひとがいたが、 その人が本を出版されていることなどもこの展示で知ることとなる。
あまり借りて帰らないつもりだったのだが、 さすがに今日はその「図書館」のテーマ展示の中から一冊、 借りて帰ることにしてしまった。
貸出カウンターのある地下一階に戻る。 よくみると地下一階にも、書架とは別に、 点々と配置されたテーブルにどかっと本が広げられている。 古本市のような乱雑ぶりだったが、所々面出しがあり、 興味を持てるような仕掛けがされていた。
ただ単に目的の本を求めて、書架の間を効率的に歩くのとは違う流れが、 そこで生み出されているのだった。